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時を経てなお趣深い レトロな港町

|横浜|

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横浜開港、日本初めて物語 編

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2024年12月08日

横浜開港165周年
港町横浜の成り立ち

港町として栄えた横浜の街。2024年で開港165年を迎えた横浜開港の歴史を振り返ります。

鎖国していた日本にペリー率いる米国艦隊が来航し、開国を迫ったのが1853年(嘉永6年)。その翌年、江戸の近くでの交渉を望むペリーの意向を受け入れる形で、当時100世帯ほどの規模で半農半漁、生産も乏しく貧しかった横浜の地で日米和親条約を締結しました。その4年後、1858年(安政5年)に日米修好通商条約を結ぶ他、英国、オランダ、フランス、ロシアとも条約を結び国際交流がスタートします。当初米国側が想定していた開港の地に神奈川や横浜はありませんでした。現在の横浜の地を提案したのは江戸幕府だったのです。理由は、外国人と日本人のトラブルを避け、物理的な距離を持たせるためでした。

ただ、江戸に一番近い場所であることから、国交において重要な場所になるに違いないという共通意識が日米間で持たれたようです。

そして1859年(安政6年)7月1日に横浜港を開港。同時に現在の関内と山手に外国人居留地を建設し、貿易を開始しました。

現在でも当時の名残が感じられるのが横浜山手です。貿易商や諸外国の領事官らが暮らした邸宅が今なお残っています。7つの西洋館を巡りながら開港当時の文化、文明の発展に思いをはせるのも一興です。

横浜開港165周年
港町横浜の成り立ち

横浜から日本全国へと広まっていった文化をご紹介します。

・日本最初の近代競馬場
現在の元町付近で外国人による競馬会が開催されたのが1860年(万延元年)。その6年後に日本初の近代競馬場が根岸に完成しました。当時は限られた人のみエントリーが許されていました。

・近代新聞の始まり
日本で最初の日刊新聞が創刊されたのも横浜の地でした。1871年(明治4年)に横浜毎日新聞が誕生します。貿易情報が主でしたが、次第に民権派の情報を扱うようになったとか。

・テニス発祥の地
山手居留地に暮らす人々が日本政府から土地を借りて開園した山手公園の地代捻出のために設置したのが日本初のテニスコート。山手公園内には発祥地の碑があります。

文化発展の軌跡をたどりながら横浜散歩をしてみては?

参考資料:横浜市観光協会ウェブサイト他

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