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コラム
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クロード・モネの86年 編
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2025年10月26日

光と風景に魅了された
少年、クロード・モネ
印象派の代表として知られる画家、クロード・モネの人生をご紹介します。
モネは1840年(天保11年)にフランス、パリで誕生しました。
貧しい家庭で厳しい生活を送っていましたが、絵が好きだったモネは次第に描くことに没頭していきました。
17歳の時に風景画家ウジェーヌ・ブーダンと出会い、画家人生が動き出します。当時アトリエでの制作が一般的でしたが、外光派として活躍していたブーダンはモネを戸外制作へと連れ出すようになりました。太陽の光とその光を受けて輝く風景を見たモネは光を描ける画家になることを決意します。
後に光の画家といわれる始まりです。
その後美術学校に入ったモネは本格的に絵の勉強を始めます。この当時ルノワールをはじめとするたくさんの友人たちと出会い切磋琢磨(せっさたくま)しながら制作活動を続けます。しかし経済的には長らく厳しい状況が続きますが、そんな貧乏画家モネを支える女性の存在がありました。それが、1人目の妻カミーユです。息子ジャンと家族3人で幸せな日々を過ごしながら少しずつ画家として生計を立てられるようになります。
そんな生活も1873年(明治6年)の大不況で一変。保守化したサロンの代わりにグループ展を開催することを決意し印象派展を開きます。最初こそ酷評されていましたが次第に絵も売れ始め、豊かな生活を送れるようになります。実は、この間に最愛の妻、カミーユを32歳の若さで亡くすという経験もしています。この大きな愛の喪失は、後の制作活動に多大な影響を与えたといわれています。
完璧主義で愛情深い
思いが投影された作品とは
68歳の頃から目が見えなくなり始めたモネですが、描くことへの情熱と執念はすさまじいものがありました。2人目の妻アリス、息子のジャンも亡くなり一人孤独な中でも描き続けたのが12枚の連作「睡蓮」でした。日本文化に影響を受けていたモネは極楽浄土を連想させる睡蓮を描くことで愛する妻や子どもを弔っていたのかもしれません。睡蓮を描き上げたのは83歳の時でした。
生涯を懸けて情熱的に絵を描き続けたモネ。そのほとばしる執念と思いの深さにモネ没後100年「クロード・モネ ─風景への問いかけ」で触れてみては。
参考資料:「モネ作品集」(東京美術)他








