パリ五輪開催で 再注目の街
|東京のリトルパリ、神楽坂|
コラム
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神楽坂の歴史とフランスとの関わり 編
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2024年06月30日
商売と文化が花開く街へ
人々を引きつける神楽坂
神楽坂のなりたちは遡ること700年余り前の室町時代。上野国赤城山南麓(現在の群馬県)で勢力を持っていた武士一族、大胡氏を祖とする牛込氏が牛込城を築いたのが始まりだといわれています。
時代は移り変わり、徳川家康が江戸入城時、新宿区で唯一、街の形ができていたのが神楽坂でした。
江戸時代になると武家地や寺町として栄えます。徳川家康が開基した毘沙門天善國寺が神楽坂の寺町に移転したことで多くの参拝客が訪れるように。江戸後期に入ると花柳界が誕生。東京六花街の一つとして栄え、神楽坂は江戸文化を堪能する街として発展していきました。
明治時代になると現在のJR飯田橋駅開設をきっかけに、商店街や住宅街など街の規模が急速に拡大していきます。「山の手銀座」と呼ばれ連日大にぎわいだったとか。また同時期に作家の尾崎紅葉が硯友社を起こしたり、泉鏡花、北原白秋など多くの文豪が神楽坂で暮らしていました。文士にも愛される情緒ある街となったのでした。
リトルパリのきっかけは
フランス語学校!?
料亭や花柳界など、和の情緒あふれるイメージの神楽坂ですが、いつからか東京のリトルパリと呼ばれるようになりました。石畳の細い路地や、坂道、階段などがモンマルトルの風景と重なります。
街並みが似ている以外にも、リトルパリと呼ばれる理由があります。
それが東京日仏学院(現在のアンスティチュ・フランセ)です。
1952年にフランス政府公認の語学学校であり、芸術分野をけん引する文化機関として設立されました。設立を機に、フランスから派遣された教員やスタッフたちが神楽坂かいわいに住み始め、コミュニティーがつくられていったといいます。
開校から70余年がたちますが、コミュニティーが形成されていく中で、フレンチの店やフランス食材を扱う店もでき、ますますフランス人居住者は増えています。そのため神楽坂=リトルパリといわれるようになりました。ちなみに現在、日本国内に住んでいるフランス人はおよそ1万2000人。その半数の6000人が都内在住で、そのおよそ10%が神楽坂を含む新宿区で暮らしているのだとか。
道理でフランス語が聞こえてくるわけです。さあ、この夏はパリを感じに神楽坂までお出かけ、いかがですか?
参考資料:(一社)新宿観光振興協会Webサイト他