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丹下健三と日本のモダニズム建築家 編
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2022年08月28日
ル・コルビュジエを知り
建築家を志した丹下健三
日本のモダニズム建築を考えるとき、丹下健三はその中心人物として外せない建築家だ。
丹下健三はル・コルビュジエの建築に感化され、建築家を志した。1938年に東京帝国大学工学部を卒業後、前川国男の設計事務所に入る。前川は坂倉準三、吉阪隆正とともにル・コルビュジエから直接指導を受けた日本人建築家の一人で、東京文化会館も設計した。
丹下は前川事務所を退所後、東京帝国大学に復学し、終戦後間もない1946年に建築学科の助教授に就任した。東大の丹下研究室から生み出された傑作建築は枚挙にいとまがない。
世界的にも高い評価を得たのは、1964年の東京五輪開催で建てられた国立代々木競技場。つり構造という画期的な手法で生み出された柱のない内部空間は、世界に衝撃を与えた。同じ年に建てられた東京カテドラル聖マリア大聖堂も丹下建築の頂点といわれている。その他、1970年の大阪万博で岡本太郎がデザインした太陽の塔を象徴的に使ったお祭り広場も、2025年の大阪・関西万博に向け、再度脚光を浴びている。
丹下研から巣立った
そうそうたる建築家たち
研究室での丹下は「私はチームの中の一人だ」と発言し、スタッフの自由な発想を大切にしていた。研究員同士の切磋琢磨(せっさたくま)の中から、その後独立して活躍する著名な建築家たちを輩出した。
東京体育館や代官山ヒルサイドテラスの設計で知られる槇文彦、六本木の国立新美術館の設計や、メタボリズムという建築運動を主導した黒川紀章、ニューヨーク近代美術館新館を設計した谷口吉生ら、皆、丹下研の出身者だ。
中でも磯崎新は新東京都庁舎の設計コンペで、師の丹下健三と競い合ったことがある。丹下の元で数々のプロジェクトに参加しながら学んだ磯崎は、モダニズムを否定するポストモダン建築で脚光を浴びていた。コンペは丹下が勝ったが、磯崎案も高い評価を受けた。
丹下の葬儀で弔辞を読んだのは、その磯崎だった。「建築の化身」と師を評し、その死を悼んだ。
ル・コルビュジエの設計として世界文化遺産に登録された国立西洋美術館。コルビュジエは構造や設備を含まない図面を送り、実施設計は弟子たちが担った。
参考資料:『群像としての丹下研究室』(豊川斎赫著・オーム社刊)、『磯崎新の「都庁」』(平松剛著・文芸春秋刊)、「芸術新潮 2013年8月号」(新潮社刊)