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茶道の歴史と流派 編

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2022年12月11日

歴史はおよそ1200年
喫茶文化の潮流

日本の総合芸術といわれる茶道。
喫茶文化を遡ってみると、日本における起源は815年ごろの平安初期。「日本後紀」に嵯峨天皇に大僧都・永忠が近江の梵釈寺で茶を煎じて奉ったと記されている。当時のお茶は病気を治すために飲まれていたもので、僧侶や貴族など限られた人々しか口にできなかった。その頃のお茶は茶葉を蒸し固めたものを団子状にした餅茶。
おいしいとは言い難いものだったとか。

鎌倉時代になると臨済宗の開祖である栄西が禅を学ぶために渡った中国の宋で、お茶を飲む文化を目の当たりにする。抹茶を飲む“喫茶”文化を持ち帰り、日本初の茶の専門書「喫茶養生記」を著した。禅宗寺院に喫茶が広がると次第に武士階級にも社交手段のひとつとして喫茶が浸透。その後、茶を飲み比べて産地を当てる茶歌舞伎や闘茶と呼ばれる今でいう利き茶のような遊びが武士の間で大流行。賭博性が強くなったことから禁止令が出るが、この武士同士の遊びから茶会という言葉も生まれたといわれている。

現在の茶道「茶の湯」
20近い流派が誕生

武士の間で喫茶が浸透していくのと並行して※駿河や伊勢など各地で茶が栽培されるようになった。
室町幕府第3代将軍の足利義満は京都で栽培された宇治茶を保護したことで知られるが、これは豊臣秀吉にも受け継がれた。

武士の間で喫茶が浸透していくのと並行して※駿河や伊勢など各地で茶が栽培されるようになった。
室町幕府第3代将軍の足利義満は京都で栽培された宇治茶を保護したことで知られるが、これは豊臣秀吉にも受け継がれた。

ここまで娯楽性の強いものが主流だったが、それに反するかのごとく質素なわび茶が誕生したのはこのころ。このわび茶を始めたのが僧侶で茶人だった村田珠光。村田珠光をはじめ、弟子だった武野紹鷗、千利休らは幽玄閑寂の境地を求めわび茶を説き、現在の茶道を指す茶の湯を完成させた。

娯楽から社交術へと変化していった喫茶文化。千利休によって茶道は広まったが、その文化はたくさんの流派を生んだ。

千利休の孫、宗旦の隠居に伴い生まれた表千家・裏千家・武者小路千家の三千家に始まり、利休の弟子たちにより確立された遠州流などの武家茶道など、現在19の流派によって茶道の文化は未来へと受け継がれている。

参考資料:お茶百科ウェブサイト 
※駿河(現在の静岡県中部)や伊勢(現在の三重県北中部と愛知県、岐阜県の一部)など

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