現代の街並みが 江戸の町に変わる!
|古地図を手に散歩しませんか?|
カバー特集
posted by 日経REVIVE
中村隼人さんの「古地図散歩」GOOD LIFE
現代の街並みが 江戸の町に変わる!
|古地図を手に散歩しませんか?|
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2026年10月25日

江戸時代は歴史のかなたではない
今も静かに息づくその名残
老中・水野忠邦の天保の改革によって、江戸三座と呼ばれた歌舞伎の芝居小屋の浅草への移転が完了したのは、天保14年(1843年)のこと。
江戸切絵図が描かれたのはそれからちょうど10年後。
浅草寺から吉原まで、当時のにぎわいを感じながら古地図散歩に出発しましょう。
NAVIGATOR
中村隼人
なかむら・はやと1993年11月30日生まれ、東京都出身の歌舞伎俳優。屋号は萬屋。二代目中村錦之助の長男で、大叔父は萬屋錦之介。2002年『寺子屋』で初舞台を踏み、端正な容姿と確かな演技力で歌舞伎やテレビドラマ、舞台など幅広く活躍している。
撮影/NAE.JAY 取材・文/山本由樹(編) アートディレクション/本多康規(Cumu)
ヘアメイク:佐藤健行(HAPPS)、スタイリスト:石橋修一、衣装協力店:eleventy
浅草から吉原まで
江戸の記憶を探して歩きました
「高校生の時から11年間連続で新春浅草歌舞伎に出演していたので、浅草は本当になじみ深い街です」
かつて芝居町として栄えた浅草には、町の人たちが役者を応援する空気が今も残っていると、歌舞伎俳優の中村隼人さんは言います。雷門から花川戸へ向かうと、隅田川の近く。この辺りは歌舞伎十八番『助六由縁江戸桜』の主人公・助六ゆかりの地でもあります。
古地図を見ると、神社仏閣だけでなく、江戸時代の道筋がそのまま残っている場所も少なくありません。
「住人の名前まで書いてある。ここに誰が住んでいたか、まで分かるのが面白い。地図から、当時の人たちの暮らしまで見えてくる気がしますね」
さらに北へ歩き、かつて江戸を代表する芝居小屋が集まっていた猿若町(今の浅草6丁目)へ。天保の改革によって、中村座、市村座、河原崎座(のちの森田座)などの芝居小屋が浅草へ移転し、この一帯は芝居町としてにぎわいました。ここには隼人さんの屋号「萬(よろず)屋」のルーツがあります。
「うちの先祖は市村座に出入りする萬屋という芝居茶屋だったと、子どもの頃から教わってきました」
芝居茶屋は観客が芝居の前後に休んだり、食事をしたり、役者を招いた宴席を開いたりする場所でした。
「街並みはすっかり変わりましたが、間違いなく自分はここにルーツがある。それを思うと感慨深いですね」
かつての猿若町を離れ、待乳山聖天(まつちやましょうでん)へ。隅田川を望む小高い丘に立つ、1400年以上の歴史を持つ古刹です。平田住職に待乳山について聞きました。
「昔の浮世絵にも、この辺りはたくさん描かれているんですよ」
江戸時代の待乳山は有名な景勝地。高台からは隅田川や富士山、筑波山まで見渡すことができたといいます。
待乳山聖天には大根が心身を清らかにするものとされ、それを供える信仰があります。隼人さんも以前訪れた際に奉納したそうです。
「役者たちには、ここに大根を納めると文字通り、大根役者返上という験担ぎがあるんです」(笑)
参拝を終え、山谷堀跡をたどって吉原へ向かいます。現在は公園として整備されていますが、江戸時代の山谷堀には隅田川から小舟が入り、吉原へ向かう客を運びました。周囲に田畑が広がる暗い堀を進んだ先に、突如現れる別世界。
「当時の人には、流行の発信地であると同時に、テーマパークへ行くような感覚だったのではないですかね」
NHKの大河ドラマ『べらぼう』で演じたのは、後に鬼平と呼ばれる長谷川平蔵の若き日。これまで親しまれてきた「鬼平」とは違う、若く砕けた演技には戸惑いの声もありました。
「親族に『鬼平犯科帳』で平蔵を演じた人が2人いるので、最初はその奥様方からあれが鬼平なの?大丈夫?と心配されました」(笑)
物語が進み、平蔵の一本気な正義感や人情深さが描かれるにつれて、「新しい平蔵も面白い」という声に変わっていったといいます。
歩いてきた道を振り返りながら、最後に創業137年の土手の伊勢屋へ。天丼を待つ間、173年前の江戸切絵図をもう一度広げました。
「吉原大門に向かうカーブ、今と同じですね。江戸の記憶ってちゃんと残っているんですよね」
舞台の上なら、花道を少し歩けば吉原に着く。しかし実際に雷門から歩けば、それなりの距離があります。その身体感覚も役者として収穫だったようです。
「このくらい歩いている間に何を考えるんだろう、と想像できる。見返り柳で、帰りたくないと思いながら振り返るのはどんな気持ちなのか。今回の古地図散歩を、これからの芝居にも生かせると思います」

「主役もできて脇役として作品を締めることのできる役者が僕の理想です。歌舞伎に必要とされる役者になれたら追い求めている芸が間違っていないということだと思うからです」
「歌舞伎は伝承芸能で先輩に教えていただくことが多いんです。この役は隼人さんに教えていただきたいと後輩に頼まれたら、それが最高の評価だと思います。そのようなかっこいい役者になりたいです」
約170年前の江戸切絵図を手に、江戸の浅草散歩

- 今回の浅草散歩に使った尾張屋版「今戸箕輪浅草絵図」は、嘉永6年(1853年)の発行で、ペリー来航の年と同じ。

尾張屋版江戸切絵図
尾張屋版の江戸切絵図に今回歩いたルートをマークしました。現代の地図に比べ正確さを欠きますが、道案内としては今も使えるほどの分かりやすさ。
❶ 雷門昔も今もにぎわいの中心
雷門前のにぎわいは、昔も今も変わりません。当時と違うのは外国人が増えたことと仲見世があること、そして五重塔が本堂に向かって右側にあったこと。旧本堂とともに東京大空襲(1945年)で焼失しました。
名所江戸百景 浅草金龍山
❷ 隅田川当時の呼び名は大川
当時の川は場所によって呼び名が変わり、江戸庶民にとっては「大川」が最も親しまれた名前でした。歌川広重の浮世絵には船の向こうに吾妻橋と浅草寺が見えます。吾妻橋は今も同じ場所で浅草と本所・向島を結んでいます。
名所江戸百景 吾妻橋金龍山遠望
❸ 猿若三座江戸のブロードウェー
萬屋と縁の深い市村座のあった場所には石碑が立っています。当時の芝居小屋のにぎわいを感じさせるものはほとんど残っていませんが、江戸時代から芝居の小道具を作っている会社が今も1軒ありました。
名所江戸百景 猿わか町よるの景
❹ 待乳山聖天景勝のランドマーク
待乳山聖天は小高い丘の上に建てられたお寺です。高い建物のない時代、風光明媚(めいび)な景勝地でした。芝居小屋もほど近いところにあり、当時の浮世絵にも大根を奉納に来た人たちが描かれています。
東都名所 真乳山上見晴之図
❺ 今戸橋吉原詣での入り口
大川から山谷堀の入り口に架かっている橋が今戸橋。今は橋はなくなり、欄干が残っているだけです。浮世絵には待乳山聖天とその隣に今戸橋が描かれています。猪牙舟(ちょきぶね)と呼ばれる小舟が往来していました。
東都名所 真土山之図
❻ 山谷堀川の流れは遊歩道に
山谷堀は埋め立てられてしまい、堀の跡は山谷堀公園として遊歩道が整備されています。浮世絵は向島の土手を歩く芸者と、対岸の山谷堀です。暗い夜道に星がきらめく当時の夜の雰囲気が伝わってきます。
名所江戸百景 真乳山山谷堀夜景
❼ 吉原大門見返り柳は今も
吉原大門の入り口付近にある見返り柳は、遊女への名残から客が後ろを振り返ったという逸話から名付けられました。隼人さんにもチラッと見返ってもらいました。浮世絵は遊郭の遊女の部屋から外を見た景色です。
名所江戸百景 浅草田甫酉の町詣
待乳山聖天のご住職のお話を
「1400年以上の歴史があるんですが、当時も今も信仰の場であると同時に観光名所でもあります」と平田住職。「江戸時代は、隅田川も(荒川放水路と)分岐する前でしたから、今よりももっと大きな川でした。最近井戸を掘ったんですが、一番下の地層から貝殻がたくさん出てきて、江戸よりももっと昔、ここがかつては海だったことが分かりました」

散歩の最後は天丼に舌鼓土手の伊勢屋
伊勢屋は明治22年(1889年)創業で、吉原の入り口に店を構えて137年になる老舗です。東京都台東区日本堤1-9-2 03-3872-4886 11:00~14:00(売り切れ次第終了) 火、水 天丼はイ、ロ、ハの3種類。隼人さんが舌鼓を打った天丼は、「ハ」(3400円)。朝締めの新鮮なアナゴがのっているのは、ロとハです。
What's GOOD LIFE for you?
芸を極めること
「人生は選択の連続で、たくさんの分かれ道があって、選んだ道によっては遠回りになってしまうかもしれませんが、生きてきた人生を感じさせる役者になって、歌舞伎という芸を極めていきたいと思っています」
この記事は、2026年10月25日発行の日経REVIVE11月号に掲載された内容です。
取材裏話
11月号中村隼人さん「古地図散歩」
ロケの集合場所は浅草雷門周辺。行きかう人のほとんどが外国人になっています。今回訪れた天丼の伊勢屋さん、待乳山聖天も浅草駅からかなり歩くのですが、外国人旅行客でにぎわっていました。大河ドラマ「べらぼう」でメインの舞台になっていた江戸後期の吉原大門周辺はひっそりと様変わり。浅草雷門から吉原大門まで徒歩約25分。日本橋界隈からだとさらに遠い。吉原は相当集客力のある街だったのです。江戸の水路にも興味が湧きました。
記事内で紹介している場所









