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この街の今、昔

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今こそ振り返りたい、あの頃のトーキョー
この街の今、昔

サンシャインシティと巣鴨プリズン編

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2021年05月30日

サンシャインシティと巣鴨プリズン編- 今こそ振り返りたい、あの頃のトーキョーこの街の今、昔

GHQに接収され戦犯の収容施設に

 2018年に開業40周年を迎えた池袋のランドマークであるサンシャインシティには年間約3000万人が訪れる。

 その中心の「サンシャイン60」は地上高239.7メートルで、建設当初は日本一の高さを誇った。1位の座は1990年に東京都庁第一本庁舎(高さ243.4メートル)が完成するまで12年間守った。ちなみに現在の日本一は大阪の「あべのハルカス」で、300メートルの高さがある。

 サンシャインシティの立つ場所には、戦後の重要な史実が刻まれている。太平洋戦争の戦争犯罪人たちが収監された「巣鴨プリズン」があったのだ。もともとこの地には主に未決囚を収容する東京拘置所があった。それが1945年(昭和20年)にGHQ(連合国軍総司令部)によって接収され、巣鴨プリズンと呼ばれる戦犯収容施設となった。1958年(昭和33年)に閉鎖されるまで、延べ4000人の戦犯が収監された。

A級戦犯とBC級戦犯が同房生活

戦犯はその罪によってA級とBC級に分けられていた。「平和に対する罪」で起訴されたのがA級で、主に国家指導者や政治家、軍の最高司令官などだった。

 意外なことに東條英機元首相らのA級戦犯とBC級戦犯は当初、同じ雑居房に収監されていた。戦時下では絶対的な権力を誇った指導者たちと、その指示に従っていた下級軍人たちとの不思議な同居生活。週に2回の風呂も一緒、食事の配給の列にも、元首相が金属製の丼とわんを持って、黙々と並んでいたという。

〈A級の今のすがたをたれぞ知る昔にかはる哀れかなしさ〉

 そんなA級戦犯たちの様子を和歌に詠んだ収監者もいた。

 死刑判決を受けたA級戦犯とBC級戦犯の処刑もこの巣鴨プリズンで行われた。そして建物は1971年(昭和46年)には全て解体された。公募によって決定した「サンシャイン60」という名前には、明るい平和な社会への願いが込められているのではないだろうか。

参考文献:「巣鴨プリズン」(中央公論新社)、「池袋本」(枻出版社)

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