12 2021

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|銀座5〜8丁目|

コラム

この街の今、昔

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今こそ振り返りたい、あの頃のトーキョー
この街の今、昔

資生堂パーラーとカフェーパウリスタ編

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2021年11月28日

作家・池波正太郎が戦前、戦後と通い続けた味

資生堂は1872年(明治5年)に、日本初の洋風調剤薬局として銀座で創業。資生堂パーラーは併設のソーダファウンテンとして、1902年(明治35年)に誕生した。ソーダ水に景品として化粧水を付けたところ、新橋の芸者さんたちに人気を博した。

関東大震災での店舗焼失を経て、本格的に洋食を提供し始めたのは、1928年(昭和3年)のこと。戦前の資生堂パーラーを知る、作家の池波正太郎はエッセーの中でこう書いている。
《私が[資生堂]の洋食を口にしたのは、もう四十年も前のことで、それから約八年ほどの間、この店の味に親しんだのち、銀座も資生堂も私たちも戦争に突入し、洋食どころのさわぎではなくなってしまった。その戦前の味が、いまも変わらずに厳然として存続していることは、戦前の銀座が、いまも尚、味に残っていることなのだ。》

まだ少年だった池波正太郎が感動したチキンライスやカレーライスは、銀座の同じ場所で同じおいしさを味わうことができる。

「銀ブラ」の語源?
銀座で最も古い喫茶店

資生堂パーラーと銀座通りを挟んではす向かいに、カフェーパウリスタ銀座店はある。創業は1911年(明治44年)で、今も銀座に残る最も古い喫茶店だ。

創業者の水野龍氏は「ブラジル移民の父」と呼ばれ、最初のブラジル移民団の団長だった人物。その功績もあり、水野氏はサンパウロ州政府庁から、コーヒー豆の無償提供を受けることになり、カフェーパウリスタを開店した。店名のパウリスタとは、「サンパウロっ子」の愛称で、サンパウロ市の市章がこの喫茶店のロゴに使われている。

諸説あるが、「銀ブラ」の語源がこの喫茶店だという話がある。

かつて慶応大学の学生たちの間で、銀座のカフェーパウリスタに行って、ブラジルコーヒーを飲みながら語り合うことを、「銀座でブラジルコーヒー」を縮めて、「銀ブラ」と言ったのだとか。そんなことを思いながら飲む1杯のコーヒーは格別だろう。

明治44年の開業当時の銀座カフェーパウリスタ。創業者の水野氏がパリにあるカフェー・プロコプに触発され、それを模し白亜の洋館を建てたのだとか。

参考文献:「散歩のとき何か食べたくなって」(池波正太郎著・新潮文庫)、「銀座の喫茶店ものがたり」(村松友視著・文春文庫)、資生堂パーラー公式ウェブサイト、銀座カフェーパウリスタ公式ウェブサイト

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