7 2021

都心へのアクセス良好 住みやすいレトロな3つの街

|蒲田|大森|大井町|

コラム

この街の今、昔

posted by 日経REVIVE

今こそ振り返りたい、あの頃のトーキョー
この街の今、昔

蒲田・大森・大井町のトリビア 編

posted by 日経REVIVE

2021年06月27日

蒲田・大森・大井町のトリビア 編。- 今こそ振り返りたい、あの頃のトーキョーこの街の今、昔

大森貝塚は大井貝塚だった?

蒲田、大森、大井町エリアの意外な歴史を振り返ってみましょう。

 エドワード・モース博士が発見した「大森貝塚」。日本の考古学の発祥の地ともいえる記念碑が品川区と大田区にある。モース博士が発見した場所の詳細を記録していなかったため、どちらが貝塚のあった場所なのか長らく解明されていなかったが、その後複数の調査によって品川説に軍配が。発見場所は品川区大井6丁目なので、大井貝塚が正しかった?

 大田区は大田という地名があるわけではなく、1947年(昭和22年)大森区と蒲田区が合併したから、お互い1文字ずつ取って大田区になった。「太田区」と間違って覚えている人も。

 東京23区で最も面積が広いのが大田区。羽田空港の沖合埋立て工事が1992年に完了し、世田谷区を抜いて1位に。大田区は東京湾の中央防波堤埋立地で江東区と領土争いを繰り広げたことも記憶に新しい。ちなみに江東区は6位。

 大森周辺の東京湾は浅草海りの産地だった。大森産の海苔は御前海苔と言われた高級品。海苔が初めて養殖されたのも大森だったが、埋め立てが進み1962年(昭和37年)に漁業権を放棄して、その歴史を閉じてしまった。

蒲田行進曲は元は劇中歌だった

 JR蒲田駅でも流れている「蒲田行進曲」のメロディー。つかこうへいが原作の映画「蒲田行進曲」の主題歌だと思っている人も多い。もともとは米ブロードウェーのオペレッタ「放浪の王者」の

劇中歌だった。

 松竹蒲田撮影所があったのは、1920年(大正9年)からのわずか16年間だけだった。映画の街としてイメージされやすいが、松竹制作の映画の多くは、移転先の松竹大船撮影所で撮影された。

 近代以降の日本の工業化を下支えした町工場が多くある大田区。池井戸潤の「下町ロケット」のドラマでは、大田区の実在の会社がロケに使われた。多摩川沿いにある桂川精せいら螺製作所がそれで、歴史を感じさせる外観はドラマの名シーンを思い出させる。

 JR蒲田駅と京急蒲田駅は約800メートル離れているが、先に開業したのは京急蒲田駅。1901年(明治34年)のことで、遅れること3年後に国鉄蒲田駅が完成。もっと近くに造ってほしかった。

 池上本門寺の仁王像のモデルは、なんとプロレスラーのアントニオ猪木だった。

参考文献:「ふるさと東京今昔散歩 第2巻 羽田・大森・蒲田編」(フォト・パブリッシング)、「大東京23区散歩」(講談社)、「散歩の達人handy 蒲田 大森 池上 +洗足」(交通新聞社)、大田区ホームページ

関連記事