3 2021

より暮らしやすくなった再注目の3エリア

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コラム

この街の今、昔

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今こそ振り返りたい、あの頃のトーキョー
この街の今、昔

東京北部の”首都”・赤羽編

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2021年02月28日

東京北部の”首都”・赤羽編- 今こそ振り返りたい、あの頃のトーキョーこの街の今、昔

東京を水害から守る
荒川放水路の分岐点

 赤羽エリアは東京の北端にあり、荒川をはさんで埼玉県川口市と向かい合っている。古くは岩淵宿の宿場町として栄え、明治時代には王子に渋沢栄一が製紙工場を作るなど、日本近代化の一翼をになった。荒川は名前の通り〝荒ぶる川〟で氾濫を繰り返したため、その治水が大きな課題だった。荒川から 分流する人工河川「荒川放水路」 が通水したのは大正13年(1924年)のこと。およそ20年もの歳月をかけた大事業だった。

 荒川から隅田川(旧荒川)への流入を止めるための要の水門が「旧岩淵水門」。赤い外観から「赤水門」と呼ばれ、東京都選定歴史的建造物に指定されており、現在は新しい岩淵水門が役割を担っている。荒川放水路の完成以来、東京では荒川、隅田川の氾濫は起きておらず、2019年の台風21号豪雨災害においても、氾濫危険水位は上回ったものの、首都は無事だった。

 赤羽から赤水門まで散策することがあったら、かつてはここが首都を水害から守っていたと、ちょっと想像すると楽しいかもしれない。

 蛇足だが昭和40年(1965 年)に荒川放水路は正式に「荒川」となり、岩淵水門から下流の旧荒川全体が「隅田川」となった。そのため荒川区には荒川が流れていないという、不思議な事態におちいってしまった。

住みやすい街ナンバー1になった理由は?

 赤羽駅には埼京線、京浜東北線、湘南新宿ラインなどJR5路線が乗り入れており、池袋や新宿、渋谷などの主要駅に、乗り換えなしで行ける。そのため近年は「本当に住みやすい街大賞2019」(ARUHI主催)でも1位に輝くなど、まさに東京北部の〝首都〟として注目を集めている。

 古くからの飲食店が集まった赤羽一番街商店街は、1000円で酔える〝せんべろ〟で有名だが、白髪頭の常連さんたちに混ざって、若者たちの姿も目立つようになってきた。また若者が開いた店も増え、赤羽のイメージは更新されている。赤羽をメジャーにしたといわれるのが「山田孝之の東京都北区赤羽」(テレビ東京・2015 年放送)で、実際に山田が赤羽に移住するという虚実ないまぜのドラマだった。実在のお店や人も登場して、古くからの住人たちと、いつかは出て行く山田孝之との葛藤もリアルに描かれていた。ここにも東京北部の〝首都〟赤羽のNEW&OLDがある。

参考文献:『江戸・東京の地理と地名』日本実業出版社
(以下WEB)『国土交通省』『荒川上流河川事務所』、『ARUHI』、『歩きたくなるまち東京都北区』

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