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|新宿|
コラム
この街の今、昔
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今こそ振り返りたい、あの頃のトーキョー
この街の今、昔
新宿御苑はゴルフ場だった編
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2021年04月25日
甲州街道の新しい宿場町だったから「新宿」
1604年(慶長9年)に徳川家康が日本橋を五街道(東海道、中山道、日光街道、奥州街道、甲州街道)の起点と定め、江戸を中心とする交通基盤が整い始める。その甲州街道の最初の宿場町は高井戸宿だった。しかし日本橋から遠いため、その手前に「内藤新宿」が開設された。1699年(元禄12年)のことで、これが今に至る新宿の始まりだ。宿場がつくられた土地は、高遠藩主内藤家の江戸下屋敷があった所。そのため町名も「内藤町」で、そこに新設された新しい宿場町なので、「内藤新宿」と呼ばれた。
新宿は甲州街道と青梅街道が分岐する所にあり、当時から交通の要衝だった。1885年(明治18年)になると日本鉄道(今のJR東日本)の品川線(今の山手線)が開通。新宿は駅を中心に、大いに発展していく。明治以来変わらずこの地にあるのが新宿御苑だ。新宿御苑として皇室庭園となったのは1906年(明治39年)で、今年で開設115年を迎える。
昭和天皇がつくらせた新宿御苑のゴルフコース
昭和天皇は皇太子時代にゴルフをお始めになり、新宿御苑や赤坂離宮(現迎賓館)、吹上御苑(皇居内にある御苑)にゴルフコースをつくらせている。新宿御苑のコースができたのは1918年(大正7年)で、都心で初のゴルフコースだった。当初は4ホール。1922年ごろには9ホールまで増やされたと記録にはある。全長1736ヤード、パー32だった。
ご成婚当時に良子妃(香淳皇后)と新宿御苑を散策し、ゴルフをなさったという記録もある。天皇に即位後もご夫妻でコンペを開催されるなど、ゴルフへの愛情は続いていらっしゃったが、戦局が世界大戦へと拡大していく中で、昭和天皇はきっぱりゴルフをおやめになり、以後も二度とクラブを握ることはなかった。
新宿御苑のゴルフコースもなくなったが、「風景式庭園」の広い芝生には、当時の面影が感じられる。
参考文献:「昭和天皇のゴルフ」(主婦の友社)、「東京古地図散歩【山手線】」(メディア・パル)、「古地図で大江戸おさんぽマップ」(実業之日本社)(以下WEB)「新宿御苑公式サイト」